さて、仙台は今後どうなっていくのでしょうか。 新潟の長岡から秋田、庄内と各地域で戦闘が行われることになります。仙台藩は会津藩と共同し、白河、棚倉付近で新政府軍と激突。数千の軍を擁し、ロシアに備えて北方の警備も担当したことがある経験から武装も充実、新政府軍に引けを取らないといわれた仙台藩でしたが、ふたを開けてみれば数百の新政府軍に惨敗。武装面では相当の開きがあり、何より錦の御旗を掲げる新政府軍の兵とは士気が段違いでした。
仙台藩だけでなく、各地の同盟藩も新政府軍に敗れて前線は崩壊、新政府軍は会津になだれ込んで会津戦争が始まります。会津藩が頼みとしていた仙台藩も、会津若松城の陥落より前に降伏を決意し、同盟は完全に瓦解します。ほどなくして、残る諸藩と会津藩も降伏し、東北での戦争は終結、翌年の蝦夷五稜郭の戦闘終結をもって、戊辰戦争は終わりを告げるのです。新政府軍の標的となった会津藩はもとより、同盟の盟主であった仙台藩も敗戦の責任を取って厳しい沙汰が下され、領地を半分以下に減らされてしまいます。
北海道の原野を開拓し、その発展の礎となっていきます。仙台藩自体は、明治4年の廃藩置県において4つの県に分割。仙台市あたりは仙台県と呼ばれますが、翌年には現在の規模に通じる宮城県となってその中心地として仙台区が成り立ちます。以降は東北地方の中心地として栄え、現在へと至るのです。