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日本では昔から「色白は七難隠す」といわれて色白な女性が歓迎されていたようですね。 今でも使っている人がいますが、主に鶯の糞で顔を洗うことで色白を目指していました。 |
| また 肌を“表面的”に白くするということでは、こってりとおしろいを塗っていたのです。 平安時代に貴族の女性達がつけていたおしろいは、現代の人が使っているような粒子の細かいのびのいい質のいい ものではありませんでした。 しみができたらしみをとって美白するというよりも、外側からおしろいを塗って白く見せるということだったのですね。 実際、当時の照明はごま油の灯明等の薄暗いものでしたから、薄暗い部屋のなかでは顔を真っ白く塗る お化粧のほうがより映えるわけです。 またさらに山野の薬草で美白効果のあるものを使っていたことは考えられます。 ただ昔の日本人は添加物のごく少ないものを食べ、空気も綺麗な環境でしたから、環境面からもしみができにくかったという 言うことはいえるかもしれません。 江戸末期、黒船で日本にやってきたアメリカのペリー一行は、当時の日本人の顔にしみが非常に少かったことを書き残しています。 観察が細かいですね。 これは美白について何らかのことを指し示しているように思います。 江戸庶民達がいつもしっかりと外から美白していたとは考えにくいですから、当時の日本人達の食事に関係があるように思えてなりません。 当時の女性達が鶯の糞や薬草で美白し、糠で保湿していたのは確かですがそれだけでしょうか。 今の女性達は美白のためのありとあらゆる手段や方法がそろっているにもかかわらずしみに悩む人が多い、というのは いったいなにがいけないのでしょうか。 |
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| 外国ではイタリアの中世の歴史の中で、美貌の女性領主が密かに薬草や鶯の糞を用いて美貌に磨きをかけていた ことが述べられていました。いわゆるハーブでも美白していたのですね。 この女性領主は戦争の時は、甲冑をまとい、馬に乗って自ら指揮をしたそうです。 平和な時は、お肌に磨きをかけ、勉強もしていたそうです。なんでもがんばる人なんですねー。 白人の女性であっても、そばかすやしみは嫌なのでやはり美白は心がけていたようです。 「赤毛のアン」の中でもアンがそばかすを気に病んで、いろいろと美白を試みる場面がありますね。 やはりしみ・そばかすの無い美しいお肌にあこがれて、ずいぶん努力していたのです。 |
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| 伝統的な美白剤である鶯の糞は今でも手に入れることができますので、においが気にならない方は お試しになるのはいかがでしょうか。 洗顔料と混ぜて使えばあまり匂いは気にならないと思いますよ。 私の母は若い頃はもっぱら鶯の糞でお手入れしていました。 色白だったかどうかはあまり記憶にないのですが、キメの細かいきれいなお肌でした。 また私は東南アジアの田舎に滞在していたことがありますが、子供達が伝統的な日やけ止めを塗っているのを見たことがあります。 テレビでも時々見ることができるあの白い泥パックのようなものです。 柑橘系の木を石で削って、にじみ出た樹液を顔にすりこんだものです。 あれは昔からあるもので東南アジアでは一般的、伝統的な日やけ止め、美白剤と言えます。 スーパーへ行くと最近は普通の日やけ止めがたくさん売られているので、都市部ではあまり見られなくなりました。 昔は自然からとった薬草や分泌物をそのままつけたり、すりつぶしたり、煎じたりして利用していたのですね。 その国でかの有名なおかまさまの学校の先生と知り合いでした。 彼は、いや彼女は(彼は学校で民族舞踊と仏様に供える花飾りの作り方を教えていました。)ただひとり いつも長袖のスーツを着て、汗ひとつかかず、きちんと日やけ止めをぬってスキンケアをしていました。 頭が下がります。 |
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